荒川の歴史|荒川区を対象にした荒川区専門のポスティング

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荒川の歴史

今から約1万5千年前、荒川は関東山地と武蔵野台地の境に位置し、寺前遺跡から発見された旧石器から、この地に人が住んでいた事がわかっていると伝えられています。この地域の農家は昔から農業や養蚕、機はた織りが中心の仕事でした。
鎌倉時代には武士集団「横山党」がこの地を本拠地にし、勢力を広げていましたが、南北朝時代になると、上杉に属する武蔵同守護代大石氏が15世紀の初めに高月・滝山城を築き、台頭しました。その後、伊豆から相模へと勢力を伸ばしていた北条氏が、上杉氏を越後に追いやり、地域を支配することとなります。
1590年、北条氏が滅び、この地は徳川領となり、江戸時代に入ると現在の市街地のあたりは甲州街道の宿場町として栄えます。徳川家康は西の守りとして荒川に守備部隊(千人同心)を置きました。千人同心たちは現在の千人町あたりに住み、軍事的な任務のほか、学問・文化にも大きく貢献しました。
この頃、荒川周辺の村々では、織物が集められ「荒川織物」として出荷していました。また、明治時代には日本の主要輸出品である生糸が長野・群馬方面から荒川に集められ、「絹の道」を通り横浜へ運ばれていたこともあり、織物業の近代化を支えました。
明治26年(1893)に三多摩地区は神奈川県から東京府に移管され、大正6年(1917年)東京府下初の市、荒川区が誕生しました。
太平洋戦争が終わりに近づいた頃、米軍機の空襲により、荒川区街地の90%が焼け野原となりましたが、終戦翌年、戦災都市復興計画を元にまちの復興が始められ、1995年に人口50万人を突破し、現在に続く発展を遂げました。

(荒川資料提供)
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